5月18日付の『GOEMON』(★★)とそれに対する人々の反応の間の乖離についての文章に関連して、かつて『GOEMON』のようにアルファベット表記の時代劇やその監督たちに対しても似たようなことが起きていたと思い、そのことについて書きます。
目的は、『GOEMON』や紀里谷和明監督がどうこうというより、変な勘違いが没落のきっかけになるようなことが数あれど、好転のきっかけになったためしはないので、せめて『GOEMON』以降こんな無意味で人を不幸にすることはやめようという意図です。
でも、本当に持ち上げる方が悪い?やっぱり作る方が悪い?
=================================================
【林海象】:『ZIPANG』(★)
林監督は『夢みるように眠りたい』(1986)で一躍脚光を浴びた。
この作品を観た記憶はあまり残っていないが、まあまあ良かった印象。
世間的には、モノクロ、サイレントによる古めかしさを狙った作風が評判になったと思われる。
これに続いて、モノクロ、トーキーで作られた『二十世紀少年読本』(1989)も割りと好評だったと思うが、個人的にはあまり良さが感じられなかった。
そして、カラーによる時代劇大作『ZIPANG』(1990)となるのだが、これにはかなりガッカリした。
どのくらいガッカリしたかというと、結果的にそれ以降は林監督の作品はほとんどすべて観ないでパスすることになった程。
世評も同じで、この映画をほめた意見は目にしたことがない。
そのため、林監督の活動もそれ以降大作を手がけることもなくなるのだが、それでも現在公開中の『THE CODE/暗号』(2008)に至るまで地道にコンスタントに新作を発表している。
その『THE CODE/暗号』は「探偵事務所5」シリーズの新作ということで、林監督は『夢見るように眠りたい』も主人公が探偵だし、テレビドラマの「私立探偵濱マイク」などにも関わっていたりで、探偵に関する変なこだわりがあるようだ。
そんな「探偵事務所5」シリーズの1作『探偵事務所5〜5ナンバーで呼ばれる探偵達の物語〜A File 探偵951「楽園」』(★、【感想】)は、『ZIPANG』以降唯一観た(ただし地上波で)林監督の作品なのだが、感想のページに「カッコつけてるだけでカッコ良くない映画」と書いたように、ちっとも面白くなかった。
結局、『夢見るように眠りたい』が良かったのはまぐれだったのか?それが良かったというのは私を含めてみんなが勘違したのからなのか? 現在、林監督はほとんど注目されていないが、それでも『THE CODE/暗号』の紹介文に「鬼才・林海象」なんて言葉があったのを見てしまったように、いいイメージは残っているようだ。
..................................................................
【中野裕之】:『SF サムライ・フィクション』(★)、『RED SHADOWS 赤影』(未見)
「ミュージック・ビデオ界のクロサワ」の異名があったらしい中野監督は『SF サムライ・フィクション』(1998)が結構好評だった。
登場人物が現代人っぽい軽いキャラと芝居で、そして何よりモノクロ(厳密にはパートカラー)だったことがユニークな映像ということでウケたのか?
で、私もテレビで観たのだが、そのモノクロ映像、斬り合いのシーンで人が斬られるカットになると、スローになってそれまでの「黒白」から「黒赤」になるのを見て、「うわっ、なんて陳腐!」と思ってしまった。(しかもこの手法が1回ではなく、なんとかの一つ覚えみたいに、数シーンで繰り返し使われる。)
結局それ以降中野監督の作品は1作も観てないのだが、世間的には期待されていたようで、大作『RED SHADOWS 赤影』(2001)にの監督に抜擢された。
しかし、この映画は評判が良くなく、それ以降は彼が映画監督を手がける機会も減ってしまった。
だから、中野監督については自信を持って言える…、
「『SF サムライ・フィクション』は、ほめ過ぎ、というより勘違い。ほめた奴が悪い。要反省。」
「中野監督も、世間の勘違いに乗せられちゃったとしたらかわいそう。」
それから、中野監督作品は、『Stereo Future SF episode 2002』(2001)、『Short Films』(2002)という「SFシリーズ」があるのだが、林海象の「探偵」同様、この手の人たちは何故どうでもいいところにこだわりがあるのだろう? 映画作りの動機が浅いのか?
..................................................................
【北村龍平】:『あずみ』(★☆)【感想】
『あずみ』(2003)というタイトル自体はひらがなだけど、この映画の予告編で「時代劇を超えたJIDAIGEKI」というキャッチフレーズが付いていた。
(改めて考えると考えると、英語やローマ字にすれば新しいって発想、こんなにセンスがなくても客商売ってできちゃうの?)
これに惹かれた人って本当にいるのかな?
それはともかく、北村監督は『VERSUS』(2000、★★、【感想】)(ストーリー的に時代劇にちょっと関係あり)で脚光を浴び、劇場で観た感想は評判ほどは良いと思わなかったけど、一応北村監督に注目しようとは思った。
ただし、積極的に観ようとは思わなかったので、彼の作品で観たものは少ない。
彼の作品で一番(ていうか唯一)気に入っているのは『ゴジラ FINAL WARS』(2004、★★☆)で、おそらく彼はアクションなどの見せ場の演出はうまくて、『ゴジラ〜』のように見せ場しかない単純な映画ならピッタリはまるのだろうけど、それ以外の演出はかなり見劣りするというのが『VERSUS』その他の作品からの印象だった。
で、『あずみ』についてだが、テレビで観たときに、冒頭の少年剣士たちの振る舞いが、あまりにヘラヘラしていてしまりがなかったので、それで観る気をなくして、結局半分も観ないでやめてしまった。
今の日本でさえ、武術といえばまず礼儀正しさから学ばされるというのに。
あのヘラヘラは、彼らの未熟さを表現するためだと考えることもできるだろうが、ヘラヘラ以外に未熟さを表現する方法はいくらでもあるし、映画全体を締りのないものだと感じさせる恐れもある。(私のケース)
それ以降いいシーンもあったのかもしれないけど、途中で見放されるのも映画の重大な欠点で、私にとってはそれで決着した映画となる。
あと、北村監督については当初から「ハリウッド進出」と映画情報メディアが騒いでいて、それにつられたのか、一般の人たちの中にも、いずれハリウッドで監督する人だと思ったりした人がいたようだ。
実際彼は外国で仕事をしているようだが、「ハリウッド進出」って大々的にアピールするに値するのは、中田秀夫監督が『ザ・リング2』を監督したぐらいのハッキリした活動があって初めて言えるというのが一般的なイメージだろう。
どうみても北村監督は未だにそこまで到達していない。
だとしたら、昔から彼に対して「ハリウッド、ハリウッド!」って持ち上げていた人たちは、何を根拠に言ってたんでしょうね?
その言葉と現状とのギャップを、どう言い訳するんでしょうか?
それに、最近の日本ではハリウッド映画の人気が衰えてきているというのに、「ハリウッド」という言葉の神通力は今でも強そうで、相変わらずいろんな人たちに対してやたら「ハリウッド、ハリウッド!」と言うのはどういうことなんでしょう?
まあ即ち、日本は実態を無視してデカいことを平気で言える人が多いとか、デカい言葉に弱い人たちが多いということだろうけど、無知な人たちが踊らされるだけでなく、誇大妄想を持っているような悪いイメージをつけられた当の北村監督が一番の被害者かもしれない。
..................................................................
【曽利文彦】:『ICHI』(未見)
曽利監督はVFXの技術者出身で、VFX技術を使った監督デビュー作の『ピンポン』(2002、★☆、【感想】)で一躍脚光を浴びた。
評判も良かったのだが、私は全然ダメだと思った。
理由は、マンガの映画化とはいえ、映像やストーリー展開、そして特に芝居がマンガっぽかったのがダメ。
映画はマンガっぽくちゃいけないというのではないが、この映画はストーリーがシリアスなので、登場人物を生っぽく描いて彼らが身近に感じさせるのが普通のところ、芝居がマンガ臭くてうそ臭いから、方向性が全然合ってないと思った。
そういうドラマ部分をどうするかには興味がなくて、卓球の試合をVFXを使って見せることが一番の目的なんじゃないかとも思えた。
そんなわけで、それ以降の彼の作品は観る気にならず、彼の監督作品自体が2作目の『ベクシル 2077 日本鎖国』(2007)まで5年もの間に1本もなかった。
『ピンポン』の評判の割には監督として期待されなかったのか?それとも彼自身の原因か?
監督3作目で久しぶりの実写による作品『ICHI』(2008)も、斬り合いのシーンで、「カメラを動かして躍動感を出そう」みたいな安直で無意味なドリーショットなどを多用して、ちっとも迫力がなかったのを予告編で観たので、結局これもパスだった。
この映画に対する世評は、かなり悪かったように感じた。
ますます「『ピンポン』ってやっぱりそんなに良いと思ってないんじゃないの?」と思ってしまう。
..................................................................
【樋口真嗣】:『隠し砦の三悪人 THE LAST PRINCESS』(未見)
樋口真嗣監督も特撮の技術者出身で、曽利文彦監督と同じ。
監督デビュー作の『ミニモニ。じゃ ムービー お菓子な大冒険!』(2002、★★☆、【感想】)は良かったのだが、子供向けで、ほぼ全編CGアニメの中編。
そして、その後に撮った実写作品の『ローレライ』(2005、★☆)と『日本沈没』(2006、★)は、「全然ダメ」としか言えないほどとにかくダメだった。
そして、4作目の『隠し砦の三悪人 THE LAST PRINCESS』(2008)も、予告編などで観て、大掛かりなだけで迫力の無い映像に期待が出来ずにパスした。
(それに「LAST PRINCESS」って、どの範疇でのLASTなんだ? PRINCESSならまだ今でも日本にいるぞ?)
これら樋口監督の実写作品は、3本とも評判が悪かったと思うが、そんな監督が2005年から2008年まで、ほぼ毎年のように大作に抜擢されるのはなぜだろう?
「VFX」「CG」などの言葉に弱くて、それを売りにしやすいからか?
そして、監督としての実績なんてどうでもいいと思っているからか?
=================================================
まあ、ざっとこんなところだろうか?
なお、単にアルファベット表記というだけなら以下の作品もあるが、「作品の実態から乖離した評判がある」ということには当てはまらないので、分けて扱う。
「アルファベット時代劇は全部問題あり」というわけではないということ。
=================================================
『五条霊戦記//GOJOE』(2000、★★) 【感想】
結論から言えば、そもそも石井聰亙監督は上記の監督たちと比べて全然格が違う。
それ以外に、彼が特に変に評判になったということはなく、この映画も全然話題にならなかったしヒットしなかった。
ただし、世間的には「知る人ぞ知る」監督だった彼が手がけた唯一の大作で、それがまずヒットしなくてその後大作を作ることはなかったのと、作品的にも大作ならではの洗練されたアクションが逆にインパクトが足りなく感じたことなど満足できるものではなかったことなど、大作が失敗作に終わったということだけは共通している。
『IZO』(2004、★★) 【感想】
あまり覚えていない。 評判にはならなかった。
『禅 ZEN』(2008、★★) 【感想】
タイトルはアルファベットだけど、作風はいたってオーソドックス。
シネマトゥデイ、「松本人志監督、北野監督については「もう、えーやん!」とうんざり?」 ☆
まず、この記事のタイトルを読んで連想されるのは、『大日本人』の監督の松ちゃんが、同日公開作品の『監督・ばんざい!』の北野武監督に批判的だということだろう。
でも、記事の本文を読むと…(注意:本文は読みに行かないことを希望します。アクセスカウンターの値を増やしてシネマトゥデイを儲けさせたくないので。実際、たいした内容ではなく、以下の文章を読めば十分です。)、内容は初日の舞台挨拶とその後のマスコミ向けの記者会見全般にわたるもので、北野監督についてはその間に一言っただけで、ごくごく一部。
だったら、タイトルは「『大日本人』初日舞台挨拶(&松本監督コメント)」ぐらいにしといたほうが正確だろ。
それに、その北野監督について言ったところも、
「(舞台挨拶の後)150人もの報道陣から囲まれた松本は、北野監督について問われると「もう、えーやん!」とうんざりムード。」
とあり、これはその前の舞台挨拶でも、
「『監督となったいきさつ』を質問されると『それ聞かれるの104回目ですわ』と苦笑い」
と書かれているように、うんざりしているのは北野監督に対してではなく、同じことを何度も質問してくるマスコミに対して。
それ以降のマスコミの質問も、
「相方の浜田さんの感想は?」
「尼崎のおかんは映画を観たか」
などのどうでもいい内容ばかりで、北野監督についての質問もそれらと同様、たいした意図もないと思われるから、松本監督がまともに答える必要もなく、「もう、えーやん!」と受け流したのも無理もない。
以上の内容をまとめると、あのサイトは、
●記事のタイトルに、本文の内容に沿ったものではなくセンセーショナリズムで捻じ曲げたものをつけた。
●松本監督によるマスコミに対する不満を、北野監督批判であるかのように捻じ曲げて伝えた。
●マスコミ批判のような、自分たちに不利益な事実は捻じ曲げて伝える傾向がある可能性がある。
●以上のことを故意で行っているのではなく、無自覚に支離滅裂な記事を流しているだけの可能性がある。
以上。
2006年度日本映画、映画賞まとめ
先日の日本アカデミー賞の発表で、ほぼすべての賞の結果が出揃いました。
以下は主要な賞の主要な部門の一覧で、それ以外の賞などの詳しい内容や、賞に対するコメントは本館の方にあります。
本館の主旨は、賞の結果を絶対視せず、結果に振り回されないことを訴えています。
================================
賞 作品賞 監督賞 主演女優 主演男優 助演女優 助演男優
================================
報知映画賞 フラガール 根岸吉太郎 中谷美紀 渡辺謙 蒼井優 香川照之
日刊スポーツ フラガール 根岸吉太郎 松雪泰子 渡辺謙 富司純子 大沢たかお
ヨコハマ映画祭 ゆれる 西川美和 蒼井優 香川照之 吹石一恵&中村優子 笹野高史
日本アカデミー賞 フラガール 李相日 中谷美紀 渡辺謙 蒼井優 笹野高史
キネマ旬報 フラガール 根岸吉太郎 中谷美紀 渡辺謙 蒼井優 香川照之&笹野高史
毎日映画コンクール ゆれる 根岸吉太郎 中谷美紀 佐藤浩市 蒼井優 笹野高史
ブルーリボン賞 フラガール 西川美和 蒼井優 渡辺謙 富司純子 香川照之
東スポ映画大賞 ゆれる 西川美和 蒼井優 木村拓哉 富司純子 香川照之
================================
「とくダネ!」おすぎのエンタメ切り捨てごめん!(8/11)
この話題は久しぶりだが、前回の6月9日からの約2ヶ月間のことを振り返る前に、まず8月11日の放送内容について。
興行成績ランキングから始まり、夏休みで半数近くがアニメということで、その中の一本の『森のリトル・ギャング』の紹介。
ただしこれが配給会社が用意したと思われる紹介ビデオを、およそ5分間にも渡ってただ流すだけという、テレビ東京の「SHOWBIZ COUNTDOWN」みたいな内容で、それならおすぎを起用してる意味ないじゃん。
ビデオが終わった後のおすぎは、「CGアニメってどれも同じに見える」とコメントしただけで、話題はディズニーの古典アニメのDVD-BOXの方にさっさと移る。
まあ、いま公開中の新作映画には語るべきものはない、あるいは日テレの『ゲド戦記』のようにフジテレビでは話題にできないものしかないということなんでしょう。
そのあとは、おすぎと小倉でディズニーアニメ、『ザッツ・エンタテインメント』DVD-BOXを、それに負けずに笠井が新作アニメの『時をかける少女』を、各々あらかじめ決められた段取り通り紹介。
おすぎと小倉はともかく、笠井は例によって言ってることに何の内容もないくせに、「連日超満員!」「号泣よ!」と声張り上げてうるさいので、おすぎに「あんたはすぐ泣くのよ」とあしらわれる。
というわけで、今回はあまりやる気を感じなかったし、これといった落ち度もなかったので、私のコメントも特になし。
この2ヶ月間、懸念されたおすぎの暴走発言はほとんどなかった。
自分のことを「日本で唯一の映画評論家」と言って、それに対して「評論家は他に○○もいる」などといった抗議もあったそうだが(もっと気の利いた抗議を出来ないの?)、テレビという活動の場で批判も含めた意見を言っているということに限れば、確かにおすぎの言っていることは間違ってない。(他には井筒監督もそうだけど、彼は評論家を名乗っていない。)
おすぎは評論家としては問題もあるけど、現状唯一無二ということでは存在価値を認めざるを得ないか? しょうがないけど。
過去2ヶ月間に対するコメントもそんなもんです。
「とくダネ!」おすぎのエンタメ切り捨てごめん!
フジテレビ系、毎週金曜、08:00-09:50(コーナーは09:10頃から)
日本のテレビでの映画ジャーナリズムは、メディアによる批評などというものはほとんど無く、配給会社などがお膳立てしたものをそのまんま伝えるだけで、付加するものと言えば誉め言葉のみ(駄作でもけなすなんてことはしない。)
よほど鈍感な人でなければ、こんな嘘っぱちな状況に疑問を感じない人がいないと思うのだが、だから例えば「虎の門」の井筒和幸監督による映画評のコーナーに支持がある理由として(さらには、「SmaSTATION」の月いちゴローのコーナーも、あんな程度でも続いているというのは支持があるから?)そんな現状に対する不満があるだろう。
そんなテレビでの映画評の貧弱な状況下に、「とくダネ!」でおすぎを中心とした出演者による映画評のコーナーが(おそらく最近)始まり、放送時間帯的にもネット数的にも映画評のボリューム的にも「虎の門」を超えて影響力最大のテレビ映画評コーナーであると思われる。
状況的には歓迎すべき傾向なのだが、肝心のその中身はというと、ちゃんと見たことはないのでハッキリしたことは言えないのだが、いろいろと問題がありそうだ。
影響力が大きい番組だと思われるので、コメントすることを前提に今後じっくり見ていこうと思っているが、とりあえず6月2日の放送で引っかかったのは、今更ではあるがおすぎに公正さが欠けている点。
彼は真っ先にコメントするのは、いい男が出ているかということで、この日も『デイジー』のチョン・ウソンにインタビューをしにいって、デレデレするだけでインタビュー自体は(カットされたのかもしれないけど)まったく無し。
一方、『嫌われ松子の一生』に関しては、真っ先に「中谷美紀の顔が気に入らない」ということで、この映画の出来自体は気にいっているようだが、だったら好意をまずコメントして、「顔」なんかはおまけコメントにとどめればいいのに。(TBS製作の『嫌われ〜』を誉めてはいけないというフジテレビからの縛りがあったかもしれないが。)
この男前優先評価に他の出演者から遺憾のコメントがあったところ、それに対するおすぎの回答は「人間だから(好き嫌いがあって当然)」というもの。
おすぎは、ひょっとしたら「映画評論家」という肩書きは(彼がCMのナレーションをするようになった頃から)名乗ってなくて、今では言わば「映画広報人」、つまり映画の素晴らしさを世に知らしめる人として活動していると言っていた覚えがあるので(未確認)、「評論家」だったらたてまえだけでも「私は公正」「好き嫌いを元に評価しない」と言い張らなければならないだろうが(料理に例えれば、「私は醤油が嫌いだから醤油味の料理なんか評価しない」なんてグルメ評論家の言うことなんか信じないのと一緒。)、もはや「評論家」ではないということで公正であると言わないのかもしれないが、それでも世間の目は彼は評論家だという認識は強いだろうから、結果的にはまずいよなぁ。
というわけで、「とくダネ!」についてのコメント(=文句)は今後も続く予定です。