シネサルの「映画のブログ」

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 『アフタースクール』 ★★

2007年、日本、カラー、35ミリ上映、35ミリ撮影、ドルビーデジタル、102分
【監督&脚本】内田けんじ
【出演】大泉洋佐々木蔵之介堺雅人常盤貴子田畑智子山本圭北見敏之伊武雅刀桃生亜希子、大石吾郎、斉藤歩、他
2008/06/07(土)20:45-22:40、WMC海老名、約30人/234席
 この映画をレストランに例えると、フレンチレストランに入ってコース料理を注文し、スープ、前菜と続いて次はメインディッシュかと思っていたら、なんと突然北京ダックが出てきて、あれれ?と思ったら続いてチャーハンが出てきて、ふと周りを見渡すとフレンチレストランだったはずが中華料理屋の内装に変っていて、そういえば店員の日本語がカタコトの中国なまりだったなぁ、ここはドッキリレストランだったということかぁ…、といった感想を抱いた。
 「『ドッキリ』を楽しめた」と思えればいいと思えるのだが、正直言って以下のように様々な点で疑問を感じた。
  (1)そもそもレストランは料理を楽しむところで、「ドッキリ」はそれとは全く別物。
  (2)料理の出来不出来には料理人の長年の努力などによる実力が関わり、レストランを味で評価することは料理人の努力に報いることにつながるが、「ドッキリ」は料理に比べれば誰でも思いつきで出来るようなもので、料理と同等の重みで評価できるものではない。「ドッキリ」自体はたいして知的なことではない
  (3)ドッキリによってそれ以降の北京ダックとチャーハンをじっくり味わえる状況にならないので、本当はおいしいのにドッキリがそのおいしさを阻害している可能性があるだけでなく、ドッキリ前後のコース全体の統一感に対してもいい印象を持つ材料にならない。
  (4)このレストランを評価する人がいて、その理由が「ドッキリ」だとしたら、以上の(1)から(3)の理由により、私は「ドッキリ」で評価することに対してはキッパリと異を唱えたい
 以上の例え話で、「レストラン」を「映画」(特に『アフタースクール』)、「料理」を「映画の面白さの最重要ポイント」、「料理人」を「『監督』などの映画の作り手」に置き換えれば、私の『アフタースクール』に対する感想になる。
 レストラン『アフタースクール』の味の部分を評価すると、裏社会の表現に具体性を持たせるなど描き方はしっかりしているので、味で勝負できる腕のある料理人のような監督だと思うから、次回作からは邪魔臭い小細工はやめたらどうだろうか?