シネサルの「映画のブログ」

星(★/☆)の採点は、★4つで満点 ☆は0.5 ★★★★人類の宝/★★★☆必見/★★★オススメ/★★☆及第点/★★中間レベル/★☆パスしてよし/★ひどい/☆この世から消えろ

 2009/04/10(金)の日記 (「湯けむりスナイパー」、『CASSHERN』)

 テレビ東京湯けむりスナイパー」第2話(★★☆)。
 今回も、エンケンさん演じる元スナイパーの、オドオドした芝居のギャップが面白い。
........................................
 深夜にテレビ朝日CASSHERN前編を放送していたのをチラッと観る。
 印象は劇場公開時にテレビなどで映像の断片を見て観に行かない決め手となった印象と同じ。
 一言で言えば、実質的に「アニメ」となんら変わらない、以前なんかのアニメで見たことがあるようなものばかりで新味の無い映像
 生身の俳優やセットを撮影して、それを素材としてポストプロダクションで加工して、その結果映像の生っぽさが無くなって、まさしく「アニメ」と同等の人工映像が出来上がる。
 映像の加工は生っぽさを無くするための手段なのか?加工という手段が目的と化しているのか?
 こんなに人手と金と手間をかけて、「生っぽさ」という実写の利点をわざわざ除去してまでの映像制作は、それなりの成果があってこそなのだが、結果はただのアニメで成果が何も無いというのが凄い。
 具体例を挙げると、麻生久美子なんて、どんな下手な監督が撮っても彼女の良さがいくらか表れるものだが、ここでの彼女は魅力ゼロになってしまっていて、それは逆に他人に真似できない1つの才能なんじゃないかと思ってしまう。
 以上の感想は、紀里谷監督の新作『GOEMON』の映像の断片を観た印象と全く同じで、こんなことが繰り返されるのは許されないと思うんだけど、そんなことはないのかなぁ?