1983年、日本(東映)、カラー、1:1.66、35ミリ撮影、104分
【監督&潤色&編集】大林宣彦 【脚本】剣持亘 【原作】筒井康隆 【製作】角川春樹 【プロデューサー】山田順彦、大林恭子 【撮影】阪本善尚 【音楽】松任谷正隆
【出演】原田知世、高柳良一、尾美としのり、津田ゆかり、岸部一徳、根岸季衣、内藤誠、入江若葉、上原謙、入江たか子、高林陽一、小河麻衣子、松任谷正隆、他
『わたし、解らないわ。この気持ちはいったい何?…胸が苦しいわ…解らないわ。これは、愛なの? これは、愛するってこと?』
何度思い出しても、このクライマックスシーンは素晴らしいですね。
特に、この台詞を言うところ。(昨日、このシーンが頭に浮かんだときには一字一句正確にというわけにはいかなかったので、本日改めてビデオをチェック。)
よく、「映画は映像で表現するもので、台詞で説明するのはヤボ」なんてことを言う人がいるけど、そんなことない。
台詞でストレートに明確に言い切る方がいい場合だってある。
特にこの映画の場合は、自分の思いを言葉にしていなかった原田知世演じる主人公が突然このような感情を口にするという変化が、彼女が愛に目覚めてしまったということも意味しているし。
それに、「胸が苦しい」⇒「愛すると、胸が苦しくなる」⇒「胸が苦しくなる思いをしてこそ、愛」⇒「胸が苦しくならいようでは、愛とは言えない」ということで、愛は平常心ではいられない(今風に言えば「愛はヤバイ」)心境が重要であり、そのため「胸が苦しい」と明確に表す必要もあるのでは?
あの「ときめき」を観る者の心にも思い浮かばせることがおそらくこの映画のテーマで、その愛は「実るか実らないか」の物理的なものではなく、あくまで「想い」という観念的なものであることが、日本、さらには世界を代表する「観念映画作家」の大林監督作品ならでは。
さらに改めてクライマックスシーンを観ると、「想い」に加えて「記憶」という大林作品の最重要ポイント2つが絡み合う展開で、ものすごく濃密。
そんなわけで、『時をかける少女』は『さびしんぼう』と並ぶ大林監督の最重要作品だろうし、ストーリーも実は1、2を争う残酷なものなのだが、そんな重い面も含みつつ、原田知世の可憐さもキッチリ表現されていて、重苦しい映画になっていないのが、まさに大林マジックといったところだろう。
私も、忙しい日常が続くと、滅入ってばかりではなく「ときめき」を感じるようでなければ生きている意味がないようなものだと思うのだが、最近とある女優さんのことがどうも気になって、気にしだすと頭から離れなくなったり、逆に強く思って早く振り払おうとしたりで、気がつくと食事も忘れているほど気分が昂ぶったりしているのだが…、この気持ちはいったい何?