シネサルの「映画のブログ」

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 『キサラギ』 ★☆

2007年、日、カラー、1:1.85、108分、2008/08/14(木)、テレビ東京放映
【監督】佐藤祐市【脚本&原作】古沢良太
【出演】小栗旬ユースケ・サンタマリア小出恵介塚地武雅香川照之宍戸錠、他
 評判の良かった映画だけど、謎解きとしてもアイドルマニア映画としても中途半端な感じ。
 ところで、「アイドル映画」…っていうとアイドルが主演の映画にありがちなパターンの(安直な)映画って意味になっちゃうけど、そうではなくて「アイドルにまつわるストーリーの映画」って、ストーリーが作りやすそうだからたくさんあっても不思議じゃないのに、全然思い浮かばない。
 唯一思いついたのは『PERFECT BLUE』ぐらい。
 それ以外だと『東京上空いらっしゃいませ』とかだと、アイドルの要素はガクンと減ってしまう。
 『ローズ』もそれっぽいけど、ロックシンガーとアイドルは別に考えた方がいい?
 こうなると、アイドルといえば「片想い」「虚構」という言葉で置き換えるとすると、『さびしんぼう』なんかアイドルファンが主役の映画と言えるかもしれない。(望遠レンズ付き一眼レフ越しでのぞいているし)
 以上の「アイドル映画」は総じて「重い映画」である。
 それはアイドルの立場では「虚構」という重荷を背負わされること、ファンの立場では「片想い」叶うことのない思いを抱え続けなければならないのと、「虚構」が崩れたときにショックを受けること、「アイドル映画」はこれらの要素のいずれかが欠かせないと言えるかもしれないことによる。
 で、話を『キサラギ』に戻すと、アイドルに対する「片想い」も描かれているし、謎解きに伴ってファン自ら「虚構」を崩していくストーリーであるにもかかわらず、そんな「重さ」が全然足りない。
 冒頭はミーハーだったファンたちが、アイドルの実像に迫るにつれて重くなっていく映画にすべきだと思うのだが、クライマックスに至るまでミーハー度が強いままだった。
 それとも、私の考えはアイドルファンを「恋する男たち」だとみなしてのことであるが、そうではなくて作り手の意図は「アイドルファンなんて所詮ミーハーな欠陥人間」として描くこと、それに合わせて軽〜い映画にすることだったってこと?
 私は、たとえ相手がアイドルであろうと、そのアイドルが大多数の人々にとっては全然たいしたことのない人であろうとも、アイドルとしての存在が「虚像」に過ぎないと薄々感じながらであろうとも、人が人を好きになるということは、素朴なものとして尊重すべきであると思う。
 だから、本来大事であるそんな思いを汲み取ってあげようとする態度は、この映画でも無かったわけではないが、なんか形だけで真に迫るものが無かった感じ。
 それどころか嘲笑のネタとしか思っていないととられかねない描き方をしているようにも思え、そんな作品はどうしても認めるわけにはいかない。
 (ついでに、ちょっと関連した話をすると、「ストーカー」という言葉が浸透して以来、映画のようなフィクションの世界でも、ストーカー的な行為をする登場人物に対して、人々は「ストーカー」という言葉であっさりと切り捨てるようになってしまった。
 でも、ストーカーが誰もストーカーになることを最初から目指していたわけではなく、最初は普通の恋愛感情だったものが心ならずもストーキングにまで発展したであろうということを考えると、ストーカーを切り捨てることなんて簡単に出来ないと思う。
 もしストーカーを全否定するのなら、それは人間の「恋愛感情」も否定しなければならないことを意味するだろうが、自分自身も含んで人間の恋愛感情を否定しながら生きている人なんてほとんどいないと言っていいだろう。
 ましてや、映画などのフィクションの世界では、誰にも迷惑をかけているわけではないのだから。)