シネサルの「映画のブログ」

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 2009/02/23(月)〜2009/02/24(火)の日記

【2/23(月)】
 朝、アカデミー賞授賞式WOWOWでの生放送の留守録をセットしてから出かけ、情報を遮断しながら早めに家に帰って、再生してみる。
 その再生が始まる前に、一瞬テレビのニュース番組が映って、モックンがインタビューを受けていたので、「あれ?『おくりびと』が受賞しちゃったのかな?」と思い、その通りだったので、せっかくの情報遮断の努力が台無し、というほどでもなく、ちょっとガッカリしただけ。
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【2/24(火)】
 朝、NHK-BS2爆笑問題のニッポンの教養(★★)の再放送を観る。
 今回のゲストは、東京芸大美術解剖学准教授の布施英利(ふせひでと)。
 いつもは、ゲストが専業としている研究課題において、所詮は素人の爆笑太田が議論を吹っかけたところで、ゲストの言い分に比べると単なる思いつきで太田に勝ち目が無いのだが、今回は太田に分があると思った。
 布施さんは「モナ・リザ」を解剖学的に調べた結果、あれはリアルな人間ではなくて、まさにキュビズムと同じことが、気づかれにくいように入っていることを言っていて、それには「なるほど」と思った。
 その行為の意味は、芸術は刹那的なものではなく後世に残ってこそ芸術であり、後世のために「ダヴィンチコードのように)秘密を仕込んでいたのであって、それを見つけるのが自分の仕事、だと主張し、太田の「テレビなどでなるべく多くの今の人々に伝えることが重要」と反論した。
 僕も「ダヴィンチ・コード」みたいな考え方は馬鹿げていると思う。
 その理由は、「作品に謎やメッセージを仕込む」なんて回りくどくて不確かなことをするのがおかしい。
 本当に作品を通して伝えたいことがあれば作品をわかりやすくすべきで、難しくしちゃったら誰も解けないかもしれない。
 今の人間には理解されなくても、未来の人々が解いてくれることに期待する、とかいっても、将来の状況が今より良くなるよいう保証は何も無い。逆に、もっと理解されなくなって、作品が闇に葬り去られるかもしれない。
 そして、何より作品がずっと残るとは限らない。
 だから、モナリザキュビズムも、「当時は解読されなくても、いづれ理解されると思って入れられたメッセージ。」などではなく、あくまで当時の人に向けて、理解ではなく感じることを狙った「隠し味」と考える方が正解だと思う。
 つまり、芸術のターゲットは「未来」よりも「現在」の人々、目的は「理解」ではなく「感じる」こと、だということ。
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