【10/22(木)】
今夜も、別な目的を兼ねて東京国際映画祭に行こうかとも思ったが、はまり過ぎずに距離を置こうと思って、行くのはやめて家に帰る。
途中、林の中の夜道で、自転車の前を横切っていったのは…、たぶんタヌキ。
うちの近所はタヌキの里だったのか…?
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『クヒオ大佐』の上映が、TC海老名もTCららぽーと海老名も、今週末から昼間の回だけになってしまうことが判って、明日観に行くことにする。
劇場は、早く家に帰って来れるTCららぽーと横浜。
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【10/23(金)】
予定通り『クヒオ大佐』(★★☆)の夜の回を観に行くことにするが、帰宅時刻がちょっと遅くなっても、電車移動が安くて楽なTC海老名に劇場変更。
開映時刻19:30の10分前に劇場に着いて、スクリーン8に入場。
お客さんは10人ぐらい。
『ゼロの焦点』の予告編で、
アカデミー賞に輝く3女優が共演
広末涼子『おくりびと』米アカデミー賞外国語作品賞
中谷美紀『嫌われ松子の一生』日本アカデミー賞最優秀主演女優賞
木村多江『ぐるりのこと。』日本アカデミー賞最優秀主演女優賞
って紹介しているけど、広末だけ対象が彼女ではなく作品だからちょっと違う。
「『おくりびと』日本アカデミー賞優秀主演女優賞」だと、他の2人が最優秀で差がつくからダメだということだろう。
ていうか、こんな無理してまで「アカデミー賞3女優」っていうことでまとめることって重要?
さらに、今さら彼女にハク付けのために肩書きをつけるなんて、余計なお世話で逆に失礼。
『クヒオ大佐』の舞台の1つは「小田山」というところだが、これは「小田原」を元にした架空の設定で、このため大量の「小田山○○」という看板類が用意されていた。
満島ひかりの相手役に、『愛のむきだし』での宿敵安藤サクラが再び登場だが、今作は2人ともそんなに怖くない。
終映は21:35頃で、すぐ帰る。
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【10/24(土)】
おとといNHK-BS2で放映された『おとうと』(★★★)の録画を観る。
今回の放映された版は(ニュープリント銀残し版)で、NHKがこの放送のためにニュープリントをおこしたのか?それとも、他の理由によるニュープリントにNHKが便乗しただけなのかは不明だが、深く関わっていることには間違いない。
『おとうと』は世界で始めて「銀残し」という現像手法が用いられた記念碑的作品。
目的は、市川崑監督が宮川一夫カメラマンに、大正時代の雰囲気を出すために、フィルムから色を抜いて彩度の低い色調の画をリクエストしたため。
彩度だけでなく、黒に深みが増すのも特徴。
『おとうと』の銀残しはプリントを現像するときの処理なので、初公開当時のプリントのみが正真正銘のオリジナルで、そのプリントが劣化してジャンクされた後に作られたニュープリントは、現像方法やフィルムの違いが考えられるので、オリジナルに近いものかどうかの保証はない。
私が2003年に観たものは、1984年に宮川一夫監修で再現されたプリントとのことだったが、20年の歳月で劣化したのか、彩度は低かったけどボヤっとした感じの画で、これを観ても画期的な新技術だと思われないだろうという違和感を感じた。http://www.momat.go.jp/FC/NFC_Calendar/2003-08/kaisetsu.html
そんなわけで、オリジナルに近い映像は現存していないということで、今回新たに再現を試みたということらしい。
その作業は、まずフィルムセンター所蔵のオリジナルネガ(フィルム缶のラベルは「大映」ではなく「角川映画」になっていたから、少なくとも以前から置きっぱなしではない。ただし、オープニングのロゴは「角川」に変えられてなくて、「大映」のままだった。)を借りて、公開当時『おとうと』を現像した東京現像所に持ち込み、当時の色調を覚えているベテランの技師が、そのとき見た記憶と当時の記録を元にオリジナルに近いニュープリントを現像してもらった。(フィルムが変わっているので、記録通りに現像すればいいというわけではないという、試行錯誤を要する作業)
そうして出来上がった映像は、これなら納得の色調だった。
映画の内容も改めて見て、一瞬のカットでも映像的にハッとさせられたり、無駄なカットもほとんどなく、岸恵子はじめキャストたちの芝居も緩みがなく、以前観たときより印象が強いことに気づかされた。
この変化って、最近無駄なカットだらけだったり、逆に「はいはい、このカットには意味がありますよ〜。ちゃんと見てね〜。」とでも言わんばかりの解りやすさ全開だったりする邦画がやたら目につくので、自然で繊細な表現というものに対して敏感になっているせいか?
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【10/25(日)】
深夜にNHK総合で加藤和彦の追悼特集番組を観る。(★★☆)
別に以前から熱心に聴いていたわけではないんだけど、そしてノスタルジーってわけではないと思うんだけど、彼の曲には今では音楽から受けることのなくなったキラキラしたものが感じられた。
何が変わってしまったんだろう?
世の中?それとも自分?
確かに、若い頃は映画や音楽や恋に夢中になったら、そのワクワク感に自分の心が100%近く乗っ取られることがあったのに、今では他者から影響される心の部分はざっと50%ぐらいで、残りの50%はひたすら冷静に「現実を正しく認識しよう。それができないと、間違った判断しかできない人間へと一気に転がり落ちる。」と考えて、自分自身を保つべく外界の影響をはねのけ続けている気がする。
確かに、最悪「集団妄想」の構成員の一員になることにもつながる心の弱みは持たないにこしたことはないが、でも一方で大事なものを失ってしまったような気もする。
いわば、「あのとき 同じ○○を見て、『美しい』と言った私(と××)の、心と心が 今はもう通わない」な気分。(「○○」と「××」は特定のものの伏字ではなく、任意のあてはまるもの)
さぁて、これからどうしよう?
このまま尻すぼみなのか?何か別な突破口があるのか?
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【10/26(月)】雨
自転車に乗るときの雨具をポンチョに変えたのが、足元が見えないことに慣れてなくて、発進しようとしたときに真横に転倒。
右足が痛い。
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夕方、家に帰ってテレビをつけたら、テレビ東京以外はNHKも含めて酒井法子の初公判をトップニュースで長々とやっていて、嫌になる。
ほんと、どーでもいい。
薬物だったら、一般社会での蔓延だとか、再犯率の高さだとか、まず最初に手を出さない心構えだとか、心の弱い低年齢層が狙われていることとか、もっと重要なことがたくさんあるのに。
結局、この騒ぎってみんな面白がっているだけなんだよなぁ。
誰も世の中を良くしようと思っていない。
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フジテレビ21:00-21:54の「東京DOGS」の第2回を観てみる。(★☆)
第1の期待ポイントは、「33分探偵」の監督&脚本の福田雄一が脚本を書いていること。
第2は、吉高由里子以下の俳優陣。
第3は、1話完結のところ。(結末まで何週間も見続けられるほど悠長ではない。)
出来の方は、芝居のテンポが悪過ぎるところが致命的で、ちょっと盛り返せるとは思えないほど。
演出って大事なのに。
それ以外は、キャストも良かったりで欠点らしい部分は少ないだけに、なんか残念だなぁ。