2008年、日、パートカラー、1:1.33、ビデオ上映、ビデオ撮影、75分、日本語
【監督&脚本&撮影&編集】田島基博
【出演】辻岡正人、長澤つぐみ、片山享、ボブ鈴木、民本尚子、他
2008/11/28(金)19:00-20:20鑑賞、UPLINK X、8人/約40席
映画は、観る者にエモーションを伝えるという目的のための手段に過ぎないのか?それとも、何かのための存在ではなく映画そのものとして存在することが目的なのか?
難しい問題だが、私が映画を観ている時の気分は前者の方を期待している。
だから、『シルエット』がモノクロサイレントというスタイルこだわるのは構わないけど、そのスタイルが「目的」になってしまっているように感じられたことが残念で、やっぱり「手段」であって欲しかった。
そう感じた具体的な理由は、往年のサイレントコメディの体を使った演技を再現した前半は良かったが、壊れかける恋愛関係が中心になる後半で、そんな状態での登場人物の「エモーション」の表現が不十分に感じたから。
例えばもっとアップで表情をとらえるとか、もっと身振りを大きくするとか、そのような演出は往年のサイレント映画も見られたが、それはそんな映画が「エモーションを伝えるための手段」としての映画を目指していて、台詞に頼れないが故の大きな感情表現だったからではないだろうか?
(もっと詳しい感想をこちらに載せるかもしれない。==> http://www.ceres.dti.ne.jp/~kwgch/movie.html)