シネサルの「映画のブログ」

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 『ファニーゲームU.S.A.』『ファニーゲーム』 ★★☆

<2つの映画はほとんど同じ内容なので、一緒に扱います>
ファニーゲームU.S.A.』
【原題】Funny Games U.S.(英語、意味「おもしろゲーム アメリカ版」)
2007年、アメリカ、カラー、1:1.85、35ミリ上映、35ミリ撮影、ドルビーデジタル、111分、英語(日本語字幕:稲田嵯裕里)
【監督&脚本】ミヒャエル・ハネケ【製作総指揮&出演】ナオミ・ワッツ、他
【出演】ティム・ロスマイケル・ピット、ブラディ・コーベット、他
2008/01/24(土)19:00-21:05鑑賞、シネマライズBF、約20人/約300席
ファニーゲーム
【原題】Funny Games(英語、意味「おもしろゲーム」)
1997年、オーストリア、カラー、1:1.85、35ミリ上映、35ミリ撮影、ドルビーデジタル、108分、ドイツ語(日本語字幕:池田香代子)
【監督&脚本】ミヒャエル・ハネケ
【出演】スザンヌ・ロタール、ウルリッヒ・ミューエ、アルノ・フリッシュ、フランク・ギーリング、他
2008/01/24(土)21:20-23:10鑑賞、ヒューマントラストシネマ文化村通りシアター1、整理番号11/約20人/約200席
 青年2人組のリーダー側が、スクリーンから客席に向かって話しかけたり、映画の尺やオチが適切かを気にしていたり、挙句の果ては、展開が間違っていると感じたら、巻き戻して映画の展開を修正したりしている。
 つまり、彼らはゲームを仕掛けているのと同時に映画を作っているのであって、それは「ゲーム」と「映画」には共通点が多いことを意味している。
 青年たちはゲームをさらに面白くするために、命がけのものにしたり、逃げ道のないものにしているが、それは映画の緊迫感を高めて面白くするための設定上の常套手段でもある。
 そして、なぜ映画の作り手がそのようにして映画を面白くしようとするかといえば、それはお客さんがそんな映画を面白いと感じて望んでいるからである。
 つまり、この映画で青年たちが行っていることは、映画の観客に代表される普通の人々が暗に見てみたいと思っていることなのである。
 そして、その望んでいることというのは、ゲームや映画のフィクションの世界では必然的に誰かを傷つけることによってなされるのだが、お客さんはこの作品でその傷つけられる人々に肩入れして不快な思いをしてしまう。
 傷つけられているのはフィクションであるにもかかわらず、まるで現実であるかのように不快な思いをしてしまう。
 ということは、フィクションと現実は明確に分かれているものではなく、人は簡単に混同してしまうということである。
 つまりフィクションの中の暴力行為と人々の心の中の暴力的な思いはつながっているのであり、ひょっとしたら、フィクションの暴力行為のエスカレートが人々の暴力感情のエスカレート、さらには実際の暴力行為を誘発していることだってありえる。
 (この「現実とフィクション」という、きっちり分かれていると思われている2つの世界が実はつながっているかも知れないというのは、映画の中で「物質世界と反物質世界」「虚像(=映画)は実像」という台詞でも表されている。)
 単に「暴力反対」と訴えるだけなら小学生でもできるが、「なぜ『暴力反対』と訴えなければならないかといえば、誰の心にも暴力的なものが潜んでいるので、各自が自身を爆発させないようにしなければならないから」というところまで描いた、本当の意味での反暴力映画だった。
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