シネサルの「映画のブログ」

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 『GOEMON』の周辺に対する雑感 ★

 『GOEMON』(★★)は、現在一番物議をかもしている映画の1つで、そのおかげか興行成績もいいらしい。
 で、この物議などの状況に関して思ったことをいろいろと。
 参考として、私の『GOEMON』に対する感想はこちら
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 まず、この件に関するポイントについてまとめると以下のようになる。
  (1)新しい映画か?新しくないか?といえば・・・・新しくない。
      映像は、どこかで既に観たようなものばかり。
      情報誌や情報番組などでは、そろって「新しい日本映画」みたいに言ってるけど、ああいうメディアは「情報」「報道」ではなくて事実上単なる「宣伝」機関だから、あおるだけで事実を言わないのが当たり前。
  (2)深い映画か?深くないか?と言われれば・・・・深くない。
      衣裳や美術など、有名な元ネタをもじっているのも判りやすいし、ストーリーも単純でストレート。
      ただし、深くないからといって、それだけで悪いということではない。
  (3)出来が良いか?良くないか?といえば・・・・たいして良くない。
      まあざっと、普通かそれ以下。
  (4)何か日本映画や日本人を、良くも悪くも違った方向に導くなどの影響があるか?無いか?といえば・・・・無いだろう
      理由は(1)(2)(3)で述べた通り、単純で普通な映画に影響力なんて無い。
  (5)そんなに語られるような映画かと?いえば・・・・そんなことはない。
      理由は(1)(2)(3)(4)で述べた通り。
      じゃ、現実に物議をかもしているのは何故? 映画よりもこの状態の方が異常。
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 そんなわけで、話題は「なぜ『GOEMON』がこんなに語られるのか?」ということに移る。
 これの理由として考えられるのは、「語りやすい映画だから」、もっとぶっちゃければ「けなしやすそうだから」なのではないだろうか?
 かく言うわたしも、『GOEMON』の試写会を観に行ったのは、「観るのが楽しみ」というより、「どんなものか観てやろう」という気持ちが他の映画よりも大きかったのは事実。
 だから、野次馬的気持ちで観たいと思うのは解らないでもないんだけど、私の場合は決して「けなし前提」ではない。
 だいたい、世評が駄作一辺倒だからといって、実は見どころがあった映画もこれまでいくつかあったから、他人の意見は信じていないし。
 それに、ひどい映画というより腹立たしい映画を観て何日も怒りを引きずりながらすごしたことがこれまでにも何度かあったことがあって、わざわざそんな思いをしたくはないし。
 観るからには、否定的な印象を受けたときこそ、高評価の場合よりも真剣にコメントしようと思っている。
 でも、世の中には『GOEMON』みたいな映画にたいして「批判」ではなく無責任な「悪口」を言うことに熱心な人がいるようで、ネットでもちょっとした場所で悪口で盛り上がったり、また一人で批判する度胸がないのか同じ意見の人を探したりしているようだ。(肯定派でそんなことをしている人は未確認。)
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 さて、そんな『GOEMON』をとりまく状況をまとめると、以下のようになると思う。
  <1>話題になっている割りには、真剣に作品と向かい合っている映画ファンは多いと思えない。
  <2>マスメディアは、「新しい日本映画」などのように、実態とかけ離れたことしか言わない。
  <3>ヒットの原因が「出来のいい映画」であることよりも「物議をかもすような映画」であることの方が大きいと思われ、これを映画会社が踏襲すると、今後日本映画はセンセーショナリズムに走って、映画の出来はおろそかになってしまう。
 以上は『GOEMON』に限らず最近のヒット作にありがちな傾向であるとも言え、『GOEMON』は特に顕著に表れている。
 そして、こんな状況の意味するところは、『GOEMON』という作品自体が状況の中心にあるとはいえ決して状況の主役ではなく、人々が映画そのものから離れたところでなにやら騒いでいるというのが実態だということである。
 最近の日本では、若い人の映画離れが進んでいたりで映画の危機が叫ばれているのだが、『GOEMON』を取り巻く状況だけに関して言えば、映画はほとんど滅んでいると言えるような気がする。
 そしてその滅ぼしている張本人というのが、映画を単なるネタにしてしまった、つまり映画を捨ててしまった「映画ファン」と言われている人たちなのではないだろうか?