シネサルの「映画のブログ」

星(★/☆)の採点は、★4つで満点 ☆は0.5 ★★★★人類の宝/★★★☆必見/★★★オススメ/★★☆及第点/★★中間レベル/★☆パスしてよし/★ひどい/☆この世から消えろ

 TIFFで「エコ」はやめた方がいいよね?(キネ旬11月下旬号)

 キネマ旬報の11月下旬号「大高宏雄のファイト・シネクラブ『どうする、東京国際映画祭』」(★★★)。
 内容を要約すると、コンパクト五輪を主張した東京がリオデジャネイロのスポーツ熱に負けたように、東京国際映画祭(TIFF)がエコを前面に出していることは、映画のワクワク感と相反していて問題なのでは?というもの。
 TIFFについては、確かにいろいろコメントしたいことはあるけれど、TIFFには2つの面があって、「コンペ」、「アジアの風」、「日本映画・ある視点」、「WORLD CINEMA」のような、あくまで映画そのものと映画を純粋に楽しみたい映画ファンが主役の企画が盛況で存続させる意味があるのなら、マスゴミが群がる「特別招待作品」などの表の面を必要悪としてやり過ごすことができるかもしれないと思っている。
 でも、「エコ」に関しては大高氏と同様にどうかな?と思っている。
 補足すると、映画はフィルムやセットなどすぐに産業廃棄物と化す物資を大量に使って作られ、さらには撮影のために大炎上、大爆破、造成、森林伐採などもすることをあったりする。
 つまり、映画そのものがエコの観点からすれば基本的にマイナスな存在。
 エコを重視するということは、映画なんて作らない方がいいと突っ込まれまねない。
 それに対抗するには、映画のマイナス要素を自覚して、だからこそ映画はそれをカバーして余りある価値を創造していけなければならないということを示さなければだめだろう。
 今のTIFFのエコの取り上げ方には、マイナス要素に関する自覚が感じられないから、借りてきたキレイごとにしか見えない。
 こういうキレイごとは、日本の芸能メディアやそれと同レベルのボンクラ連中なら騙せるかもしれないが、海外の映画人たちは騙せるとは思えず、そうすると肝心な人たちにTIFFが見放されるかもしれない
 現に、クロージングセレモニーの最後に、依田巽チェアマンが客席の一同に「ACTION FOR EARTH!」と言って拳を突き上げることを要請していたけど、「何やってんだ?」みたいな顔で何もしないままの白人の人が映されていた。
 映画祭は何から何まで真剣に完璧を目指さなければならないとは言わないけど、肝心なところに安直な考えを持ち込むのは逆効果になりかねないことを気にかけて欲しい。