主催:キネマ旬報社/キネマ旬報映画総合研究所
第1回目の試験日を明日6月25日(日)に控えて、受験しない私がコメントを。ただし、文章の形にするとものすごく長くなって要点がボヤけてしまいそうなので、箇条書きの形で。
(1)概要
映画検定のサイトによると
■概要 : 映画に関する知識をはかる試験制度
■目的 : 映画文化の次世代への継承と、映画ファン層の拡大に役立つ。
■試験方法 : ペーパーテスト、マークシート方式、45分
■検定料 : 4級,3級:4,000円、2級:4,500円
■対象とする受験生 :
映画検定のサイトの各級の程度の説明を見ると
4級 : 映画ファン入門
3級 : 映画ファン初級
2級 : 映画ファン上級
1級 : 映画ファン達人
となっていて、これだけ見ればアマチュアの映画ファンを対象としていているように見えるが、サイトには「映画の知識を仕事に生かす」と書かれたアイコンやページもあって、映画関係の仕事に就く人のための資格とも考えられるし、結局どっちを想定しているのか判らないのだが、何のための検定かは受ける人次第ということでいいのだろう。
(2)私は……
■対象? : 資格として受ける意味があるかといえば、映画関係の仕事に就くつもりはないから意味がない。
映画ファンとして、級を取ることによって例えばはくがつくから受けるかといえば、別に肩書きや格付けによって他人の評価を得たいとも思わない。
試験なんかではなく、実際の普段の様子から他人に評価されるべきであって、それよりも他人の目がどうこうより、自分は自分だと思っている。
だから、級なんて取る必要がないし、同様に私も検定結果で他人を評価するつもりはない。
■映画ファンの良し悪しを決めるものがあるとすれば、それは…
●映画を楽しむこと(重要度=99%ぐらい)
●映画について他人に語ること(重要度=1%ぐらい)
楽しんでもないくせに語る奴がいるとしたら、映画を語りの道具としか思っていない、まさに「コメントばか」だな。
■映画について他人に語ることに関して重要なこととといえば…
●映画の良し悪しを見極められる審美眼(重要度=90%ぐらい)
●映画について語る表現の的確さ(重要度=9%ぐらい)
●映画を語る上で参考になる知識(重要度=1%ぐらい)
当たり前のことだが、いくら映画の知識が豊富でも、それだけでは所詮参考データ止まりの内容だし、最近は調べる手段も多いから知識は重要でない。
それに、いくら語りの表現が的確でも、映画の良し悪しを判断できなければ根本的に間違ったことを言ってるだけということになる。
■まとめ : 普通の映画ファンである私にとっては、「映画を楽しむ」という最大目的に比べれば、「映画の知識」なんてものは限りなくどうでもいいことになる。(1%の1%だから、ざっと1:9999で1万倍ぐらい。ただし、数字は適当なので、誤差が2桁ぐらいかもしれないけど、それでも100倍もちがう。)
だから、「映画に関する知識をはかる試験制度」である映画検定など、私にとってはどうでもいい。
(3)映画検定と世間
■評判 : 映画検定に関しては、新聞の芸能記事など、結構いろんなところで取り上げられていたので、思ったよりも評判になっているようだ。
特に、私が見た一番大きい反応は、テレビ番組「やぐちひとり」で劇団ひとりと矢口真里が模擬試験にトライして、矢口は受けないものの劇団ひとりが3級と4級を受けに行くというもの。
■好評の理由
日本人は「ファンとしての客観的なランク付け」が好きなようで、たとえば昔のテレビ番組「カルトQ」のように、知識量でファン度をはかろうとしたり、またコレクションの数やかけた金額でもファンとしての度合いをはかろうとすることがよくある。
オタクの発祥の国ならではといったところだろうか?
私と違って、そういう考え方をすんなり受け入れる人が多いかもしれないが、仮に私が(2)で述べた
映画ファンにとっての重要度:楽しむ>>>語る>>>知識という考え方に同調する人が多いとしても、いざファン度を比較しようと思ったとき、「楽しんでいる度合い」や「語りの適切さ」といった比較しづらい要素より、明確な「知識」で比較しようとする人が多いのではないだろうか?
■オタク的嗜好の弊害
最近はネットなどでファン同士のやり取りが盛んに行われたりするが、そういったやり取りで話題になりやすいのは、映画なら「いかに素晴らしいか」といった「エモーション」のような曖昧なことでなく、「知識」「ネタ」「数値」といった「情報」の方であり、映画において人々が「情報」をより意識するようになると、その反面映画にとって本当に重要なものであるはずの「エモーション」が軽視されることになる。
最近、小ネタばかりの映画や、ベタなだけで浅い表現の映画が増えて、本当の意味で手ごたえのあるグッとくるような映画が少なくなっているのは、オタク的嗜好の影響だと思っている。
そんなわけで、「知識」というオタクの側に属する「映画検定」も支持するわけにはいかない。
■主催者キネ旬に対して
じゃ、そんな映画検定なんてものを始めて、受験生からお金を取ろうとしているキネ旬を糾弾すべしと思っているかというと、そんなことはなくて、受けようとする側と受けさせようとする側とどっちを支持するかといえば、オタク的嗜好者が多いと思われる受験者はどうでもいいでしょう。
わざわざ映画検定を受けに行こうとしている受験者にしてみれば、数千円の検定料なんてはした金だろうし。
それに比べればキネ旬の方がいろいろと存在価値があるので、キネ旬発信の活動として珍しく注目を浴びている映画検定が成功して欲しいと思っています。
キネ旬は近年数度に渡って買収されているほど存続が危ぶまれていて、その結果昔のキネ旬と比較すると、かつての硬派な紙面とうって変わって、最近はグラビアを増やしたり韓流などのミーハーな記事も入れたりと、大衆に訴えて部数を確保しようとする傾向がハッキリと見られ、それは映画ファンの減少とオタク化の犠牲になっているとも言えるので、同情すら覚えます。
とはいえ、いつまでも支持し続けるというわけではないけどね。