今発売中のキネマ旬報5月下旬号の「午前十時の映画祭」のコーナーで、現在全国で順次上映中の『シベールの日曜日』(★★★☆)が紹介されていた。
その文章(鬼塚大輔氏による)を読んで驚いたのだが、20年ほど前に劇場で観たバージョンでは、DVDには存在しない結末のある場面が存在していた「可能性」があり、その有無で作品の解釈がガラッと変わってしまうとのことだった。
僕もスクリーンで観た覚えがないので何とも言えず、もしそれが事実なら大好きな『シベールの日曜日』の「完全版」はぜひとも観に行かなければと思い、まず事実関係を調べてみることにした。
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調べたのは、映画のデータベース等に記載されている上映時間で、結果は以下の通りだった。
▼「午前十時の映画祭」サイト
111分
▼キネマ旬報1963年決算号
3059メートル(=10040フィート)
10040/1.5=6691秒=111.5分
▼IMDb(The Internet Movie Database)
110分
▼allcinema
116分
▼テレビ放映版(NHK、WOWOW)
109分〜111分
▼DVD
111分
▼VHS
115分
以上の結果から、少なくとも109〜111分と115〜116分の2つのバージョンが存在するように見える。
そして、仮に「カット」が映画全編のどこかで少なくとも合計3分位以上はあったとすると、その結末のカットされた場面はロングバージョンにしか存在しないことになり、「午前十時の映画祭」の111分版には無いと思われる。
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では、111分版は「短縮版」なのかといえば、キネ旬より公開時は111分で、IMDbもそうだということは、こちらが正当版で、ロングバージョンが存在するとしてもそれは特別なバージョンということになりそう。
さらに、ロングバージョンはいわゆる「ディレクターズカット」で、何らかの理由で不本意なショートバージョンを出し、後にロングバージョンを出したのだろうか?
2バージョン存在すること自体が定かでないので、バージョン別に対するコメントも存在しないかもしれない。
ただ、可能性として考えられるのは、封切り当時に性的な描写が社会通念上許されず、後年になって時代が変わって当初不本意ながらカットしたシーンを復活させるたということがあったかもしれない。
このケースの実例は、カットとは違うがウィリアム・ワイラー監督がリリアン・ヘルマンの「子供の時間」を1936年に映画化するにあたって、同性愛の映画が許されなかったので設定を三角関係にする苦肉の策で『この三人』を作り、後年『噂の二人』(1962)をセルフリメイクしたことがあった。
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次に、本当にカットされたシーンがあったかの記憶をたどってみた。
参考に2010年にWOWOWで放映された110分版でラストの方を観ると、ハーディ・クリューガーは風見鶏(?)を取って教会から出ていき、次はラストシーンに登場するとなっている。
カットされたシーンがあるとすればこの間なのだが、ずっと前にテレビで観た時には。風見鶏をシベールのところに持ってきたシーンがあったような気がしてきた。
ただし、記憶なんてものは全然当てにならない。
その時の録画は上書きしてしまったが、最後の方だけは残っているかもしれないと思って探したものの、整理ができてないので見つけられなかった。
さらに、その録画がロングバージョンだったら、ショートバージョン録画後に、時間を確認してロングバージョンは消さずに残していたと思うから、てことはそれもショートバージョンで、幻のシーンを観た記憶も思い違いということになる。
うーん…。
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以上の考察をまとめると以下の通り。
▼『シベールの日曜日』は少なくとも110分と116分の2バージョン存在の可能性あり。
▼午前十時の映画祭での上映は111分の模様。
▼ラストの重要なシーンが存在するとすれば116分版のみの可能性。
▼あくまで110分版がオリジナルと思われる。ロングバージョンが存在するとしても正当と限らない。
以上、結局観に行くべきかどうかは、観ても幻のバージョンではなさそう。
ただし、『シベールの日曜日』は時代が変わっても何度でも鑑賞に堪えうる作品なので、純粋に楽しむために観に行くのもいいかもしれない。
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