シネサルの「映画のブログ」

星(★/☆)の採点は、★4つで満点 ☆は0.5 ★★★★人類の宝/★★★☆必見/★★★オススメ/★★☆及第点/★★中間レベル/★☆パスしてよし/★ひどい/☆この世から消えろ

 大林宣彦が語る!純愛映画講座(映画秘宝2007年5月号) ★★★★

 ネットをうろついていて、たまたま「大林宣彦が語る!純愛映画講座」という映画秘宝のインタビューのページを見つけて読んだんだけど…、いやぁ、これには完全に参った。
 一言で言えば、映画の真髄を見たような気分。
 大林監督いわく、「映画はすべて純愛[映画]」「映画そのものが純愛」。
 「映画とは何か?」なんて質問されたら、映画ファンなら「そんなこと言葉ではうまく説明できないけど、でもみんな判ってるよね?」としか答えられないだろうけど、このインタビューこそまさにその答えに一番近いものであるような気がする。
 映画はスクリーンに映った影であり、その影の元はフィルムに定着された画像なので、観る者がいくら映画作品に対して強い愛情を抱こうとも、映画自体はその愛に対して何の反応もせず常に同じ映像を映すだけで、観る者の愛には応えてくれない。
 映画を好きなるということはまさに見返りのない「純愛」で、映画との愛情は受け身の関係しか成り立たないという「片想い」そのもの。
 受け手に出来ることといえば、映画への想いという妄想によって自力でハッピーになることぐらい。
 例えば、好きな映画を探し求めて観続け、ついに出会ったときにの喜びを「自分も映画に愛されているからだ」と思うことで映画への愛が報われたと錯覚することなどである。

 そして、観る者を映画への純愛へと誘うのは映画に潜む「魔力」で、そんな映画の魔力と深く関わった人としてヒッチコックヌーヴェルヴァーグの監督たちの逸話が紹介されているが、圧巻はなんといってもジョン・ウェイン
 ここで紹介されている彼の愛にまつわる人生はまさに大林作品のようで、このインタビューを読んだだけで『さびしんぼう』と似たストーリーの大林作品を一本観たような気分で、映画を観ても滅多に泣かない私も思わず落涙してしまった。
 さらに作り手が映画に注ぐ愛情についても語られていて、単なる「フィルムとその影」でしかないものを「映画」たらしめている作り手と受け手の「愛」こそがまさに「映画」そのものであると言えそうだ。
 「純愛」といいながら、それは奇麗ごとなだけではなく狂気と表裏一体であるという、人の心の明と暗、強さと弱さを自分の心の中にしっかり持っている大林監督だからこそ、彼の純愛映画を代表する『さびしんぼう』や『時をかける少女』が、単に「魅力的」というレベルを遥かに超えて、「魔力」がにじみ出たような映画になっているのでしょう。