シネサルの「映画のブログ」

星(★/☆)の採点は、★4つで満点 ☆は0.5 ★★★★人類の宝/★★★☆必見/★★★オススメ/★★☆及第点/★★中間レベル/★☆パスしてよし/★ひどい/☆この世から消えろ

 『ペコロスの母に会いに行く』 ★★☆

(意味:ペコロス=小タマネギ。主人公の頭部の形からのあだ名。)
2013年、日本、カラー、ビスタ、113分、日本語
【監督】森崎東【原作】岡野雄一
【出演】岩松了赤木春恵原田貴和子加瀬亮竹中直人大和田健介松本若菜原田知世、宇崎竜童、温水洋一穂積隆信渋谷天外根岸季衣長澤奈央大門正明佐々木すみ江正司照枝島かおり今井ゆうぞう、長内美那子、サヘル・ローズ志茂田景樹、他
2013/11/20(水)鑑賞、AC海老名2
<感想>
 痴呆症の母親がいて仕事などと介護の板挟みになる、独身中年男のエッセイ漫画を原作とした作品。
 とはいえ、全体的に悲壮感は少ない。
 母親の思い出の数々が、過去ではなく現在まさに起こっていると思うことによる言動がボケの症状の1つになっていて、同時に回想シーンとして描かれる。
 痴呆症の母親の想いは実際のところ解らないので、母親をファンタジー世界の住人と勝手に解釈していると言えるのだが、例え嘘でも観る者にとって心理的に有用だと感じることが出来るものであれば、それは人間には欠かせない「物語」という存在であり、本作はまさに「物語」に触れることの喜びを感じさせてくれた。
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 『ブリューゲルの動く絵』 ★★

【原題】The Mill and The Cross(意味「粉挽きの風車小屋と十字架」)
2011年、ポーランド=スウェーデン、カラー、1:1.85、96分、英語&スペイン語(日本語字幕)
【監督&脚本&製作&撮影&音楽】レフ・マイェフスキ
【出演】ルトガー・ハウアーシャーロット・ランプリングマイケル・ヨーク、他
2013/11/19(火)公開、WOWOW放映
<ストーリー>
 16世紀にブリューゲルが描いた「十字架を担うキリスト」の絵には、カトリックのスペインに支配されて、他の宗教が異端として迫害されていたことを、キリストの受難になぞらえているという側面があることについて、俳優たちと背景で絵を再現しながら描いていく。
 そして、ルトガー・ハウアー演じるブリューゲルが、絵を描きながら上記のことなど絵について語っていく。
<感想>
 画面が絵画っぽく見える照明のシーンが多かったり、俳優たちが一斉に動きを止めて無言になったりして、映画を絵画っぽく見せようとしている。
 その一方で、絵が書かれた背景の現実の人々の事も描こうとしている。
 人間の絵画化と、絵画の人間ドラマ化という、正反対のことを同時に行っているのが、違和感を感じながら観ることになった原因だろうか?

 暗い室内に、窓から水平方向に強い光が入ることによる、光と影がハイコントラストで写る画面が絵画っぽいと思ったけど、ブリューゲルの絵はそんな感じではなかった。
 むしろレンブラントっぽいけど、どこまでが意図した通りなのだろう?

 『42 世界を変えた男』 ★★

【原題】42(意味:(主人公の野球選手の背番号))
2013年、アメリカ、カラー、1:2.35、128分、英語(日本語字幕)
【監督&脚本】ブライアン・ヘルゲランド
【出演】チャドウィック・ボーズマンハリソン・フォード、ニコール・ベハーリー、他
2013/10/21(月)鑑賞、ニッショーホール
<ストーリー>
 1947年に黒人初のメジャーリーグ選手になったジャッキー・ロビンソンが、人種差別と戦いながら、チームメイトとの絆を深めていく、実話を元にした話。
<感想>
 1947年の黒人差別に限れば、さすがに今のアメリカとは社会情勢が違うので、時代劇と言っていいだろう。
 ただ、異人種などの異質な人々に対する偏見は今でも当たり前のように存在するので、そんな今の状況に向けて本作のような作品を作る意図もありうるだろう。
 その場合、重要なのは差別される側よりも、差別する側の心理や、偏見から心変わりしていく過程の方を描くことになると思われる。
 以上の点で見て本作はどうかというと、意外に差別する側のことは詳しく描かれてなく、物わかりの良い白人は最初からそうで、偏見を抱いていた人は、態度を変えなかったか、気がついたらいつの間にか心変わりしていたという感じで、全体的に葛藤の少ない登場人物たちによる、黒人が差別される通り一遍のエピソードが中心の作品だった。
 これじゃうがった見方をすれば、「アメリカ人は基本的にはみんな人権を大事にする人達」ということ印象付けるための歴史歪曲映画じゃないかと思ってしまう。
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 『無頼無法の徒 さぶ』 ★★☆

1964年、日本(日活)、モノクロ、1:2.35、102分、日本語
【監督】野村孝【原作】山本周五郎
【出演】小林旭長門裕之浅丘ルリ子、小林千登勢、深江章喜、下絛正巳、浜村純、芦田伸介田中邦衛、他
2013/11/15(金)鑑賞、WOWOW放映
<ストーリー>
 明治の初め頃の東京。
 栄二(小林)とさぶ(長門)は子供のころから一緒に経師屋に奉公していた仲で、さぶが飲み屋の女中のぶ(小林)に惚れているのを栄二が間に入って取り持とうとしていたが、のぶは栄二のことが好きで、栄二が仕事の出来ないさぶを内心バカにしていると身に覚えのないことを言って断り、それをさぶが立ち聞きしていた。
 2人が呉服屋の綿文(わたぶん)の障子を張り替えていた時、家宝の布が盗まれて栄二の道具箱から出てきて濡れ衣を着せられ、栄二は首になった。
 自暴自棄になった栄二の元に、栄二が昔から好きだったすえ(浅丘)が綿文を辞めて栄二を支えに来たが、綿文の娘が栄二と結婚しようとしていたことを破断にするために綿文の主人が彼を盗人に仕立てたと思った栄二は、綿文に乗り込んで逆に番所に突き出される。
 さぶが自首して来るが、面会した栄二がウスノロのさぶが盗める訳がないと言ったことことから、栄二が自分をバカにしていたのは本当だと思った。
 石川島の寄場に送られた栄二は、さぶが捕まっていないと知って、さぶを殺すために脱獄を図るが、邪魔しようとした囚人仲間(田中)を閉じ込めた小屋が火事になったので、彼を助けで脱獄には失敗した。
 さぶが嘘の自首をしたのは栄二を守れなかった後ろめたさだだということを、のぶを通して知った栄二はさぶとの面会を受け入れ、お互いの憎しみは解消された。
 釈放された栄二はすえと結婚式を挙げるが、その場ですえが、綿文の娘との仲を引き裂こうとして栄二を盗人に仕立てたと告白し、どこかへ行こうとした。
 さぶの説得で、栄二はすえを引き戻そうと後を追った。
<感想>
 小林旭が、元々は実直な人柄ながら、時々怒りも見せるという、渋めの芝居で魅せる。
 映像的にも、重厚な仕上がりでいい。
 ストーリー的には、所々話が飛んでいて繋がりが解りにくい所があった。
 尺を長くできなくて、省略せざるを得なかったのだろうか?
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 『ファントム 開戦前夜』 ★★

【原題】"Phantom"(意味「幻影」劇中登城する秘密兵器の暗号名)
2012年、アメリカ、カラー、1:2.35、99分、英語(日本語字幕)
【監督&脚本】トッド・ロビンソン
【出演】エド・ハリスデヴィッド・ドゥカヴニーウィリアム・フィクトナーランス・ヘンリクセン、他
2013/10/16(水)鑑賞、角川シネマ新宿1
 1968年に、ソ連の核ミサイル搭載潜水艦内で実際に起きた事件の映画化で、すでに存在しない国の国家機密とはいえ、他国のアメリカが映画化しているのが何とも奇妙。
 緊迫感はあったので、「潜水艦映画に駄作なし」の法則は生きていると思うが、似たような軍服を着た者同士が潜水艦内で戦うので、展開が解りづらい。
 また、ミサイル室に入った男のその後など、ハッキリさせるべきことをフォローしない事がいくつかあったのも、解りづたかった原因かも。
 ラストのようにヒネった表現には力が入っているのに。

 『パラノーマル・アクティビティ2』 ★☆

【原題】"Paranormal Activity 2"(意味「超自然的活動その2」)
2010年、アメリカ、カラー、1:1.85、英語&スペイン語(日本語字幕)
【監督】トッド・ウィリアムズ【原案&脚本】マイケル・R・ペリー、他【製作】ジェイソン・ブラムオーレン・ペリ
2013/10/31(木)、WOWOW放映
<ストーリー>
 カリフォルニアの一軒家に、夫婦と赤ん坊、前妻の娘の4人が引っ越してきた。
 その直後、家が荒らされていたので、家の数か所に監視カメラを据え付けた。
 そして、その家では超常現象が頻発するようになった。
<感想>
 1作目の監督&脚本&製作&編集だったオーレン・ペリが製作に専念し、1作目の出演者の何人かが再度出演して作られた続編。
 1作目との違いは、住人が増えたこと、そして監視カメラの台数が増えたこと。
 おかげでカット割りの回数が増えたが、それによって出来上がった映像は普通の劇映画っぽくなり、モキュメンタリーならではの異質な感じや生々しさやいかがわしさが後退してしまった。
 また、1作目では登場人物が真相を探る気まんまんでカメラを設置したのに、本作は何となく設置しただけでその意欲が弱くて、異常な現象が写っていても「気のせいだ」などと言って話が進まないから、次第に緊張感がゆるむ結果になった。

 『パッション』(2012) ★☆

【原題】"Passion"
2012年、フランス=ドイツ、カラー、1:1.85、101分、英語&独語(日本語字幕)
【監督&脚本】ブライアン・デ・パルマ
【出演】レイチェル・マクアダムスノオミ・ラパス、他
2013/10/05(土)鑑賞、TOHOシネマズみゆき座
 ブライアン・デ・パルマといえばヒッチコック・フォロワーとしておなじみだが、同時に自分自身のフォロワーでもあり、自作において上手くいった表現方法を繰り返し用いている。(自作フォローはヒッチもやってたことだけど。)
 特に『キャリー』や『殺しのドレス』といった彼の代表作はフォロー率が高く、両作品において特に素晴らしかった長時間のスローモーションは、彼の代表的な映像表現と言っていい。
 彼のそんな姿勢を、マンネリで嫌っているかといえばむしろ逆。
 スローを映像の味付けとして使う監督はいても、スローの表現を極めようとするかの徹底ぶりを見せるのは彼ぐらいしかいない。
 映画ならではの映像表現を追及するのは映画作家としては当然だと思うのだが、何故かそれを律儀に行っているのがデ・パルマだけで、他の誰も真似をしようともしないから、ここはデ・パルマの一代芸として、彼にどんどん披露してもらうしかない。


 『パッション』では、前半はデ・パルマの芸はなりを潜めていたが、後半になってスローのシーンが現れたりしだした。
 今回はスローモーションよりも、現実と非現実の境目があいまいになっていく展開の方が前面に出ている。
 これは『悪魔のシスター』から始まって、最近の『ファム・ファタール』にも見られるように、デ・パルマ作品でいくつも見られた特徴的な展開だが、一番上手くいったのは『殺しのドレス』だろう。
 こうしてデ・パルマは、過去の自作における表現の成功例を元に、新たな傑作シーンの創造に励むのだが、比較対象が判りやすいのでどうしても比べて観てしまうのと、その対象が映画史に燦然と輝く出来栄えなので、元々が不利なに置かれている。
 それは承知だから、こっちも決して高望みはしていないのだが、それでも「観て良かった」と思える程のレベルに達していないと、反動で失望感も大きくなる。


 まあ、何が現実か判らなくなっていく展開はちょっと面白かったんだけど、今回は今ひとつ及ばずといったところかな?
 それでも、次も観るんだけどね。
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