シネサルの「映画のブログ」

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 2009/08/18(火)〜2009/08/20(木)の日記 (『グロテスク』vs24時間テレビ)

【8/18(火)】
 昨夜、「世界陸上」を朝近くまで観たせいで日中眠い。
 そのせいなのか、いや多分それとは関係なしに、家に帰ってもこれといって何もせずに、「世界陸上」も集中しないでボーっと観ていた。
 時間を無駄にしてしまった。
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【8/19(水)】
 今日も家での過ごし方は昨夜と同じような感じで、時間を無駄にしてしまった。
 やる気が出ないのは暑さのせい、と言いたいところだが、今年はどうやらエルニーニョ現象による冷夏のようで、やる気が失せるほど暑いことはなかったりする。
 明日からやり直そう。
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【8/20(木)】
 『グロテスク』(2009 日、★★)のDVDが、残酷だということでイギリスで発禁になったとのニュース。
 まあ、この手の問題は受け手の個人差があることだから、正しいか間違いかは一概に言えないけど、個人的にはよく解らない。
 発禁の理由が「不快感を覚えるから」だとしたら、そう感じたら観るのを止めればいいだけだし。
 「犯罪を誘発する可能性がある」だとしたら、これを見たことで反社会的なことをする人が出てこないとは言えないけど、「そんなことあるかぁ?」という疑問の方が強い。
 それより、フィクションである『グロテスク』の中の虐待行為が問題だと言うのなら、この映画と同じ図式でもっと大々的に行われている虐待行為が日本には実在しているぞ
 それは、日本テレビ24時間テレビの100キロマラソンのこと。
 『グロテスク』の虐待の図式とは、虐待される側がある目的のために自ら虐待されることを選んで苦痛にもだえ苦しみ、虐待する側がその犠牲的な行為を見て「感動」することが目的だということ。
 これって、100キロマラソンが視聴者の「感動」を呼ぶために行われているのと同じ。
 もし、ランナーが苦痛の表情を全く見せずに100キロ走っちゃったら、視聴者は感動もしないで番組に不満を感じるんじゃないの?
 つまりあのマラソンは、ゴールまでたどり着くことが目的ではなく、いかにランナーがヘロヘロになって体もボロボロになり、そんな様子を観たがっている視聴者の希望を叶えるためのものということだろう
 走っている最中に死んだり病院に担ぎ込まれるところまでは望んでないにしても、できるだけその手前のギリギリのところまでボロボロになって欲しいと、暗に心の中で思いながら観ているはずだ。
 24時間テレビのマラソンは視聴率もいいから、日本には現に他人の苦痛を観て喜ぶ人がかなりの割合で存在しているということだろう。
 フィクションの『グロテスク』の虐待を真似する人の危険性に対する心配と、同じ心理の持ち主が既に大多数実在するという現実。
 内容を反映したいかにもなタイトルのついたいかにもなパッケージで提供される『グロテスク』と、「感動」を前面に押し出して、その裏でひそかにそのどす黒い本質に無自覚なまま人々の心に染み渡っていくこと。
 どっちが大問題なのか?問題の程度がどの程度違うのか?言うまでもないだろう。
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 深夜、「世界陸上」を観ながら風が吹くとき』(★★ 【感想】)の録画をPCで観る。
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