阪東妻三郎の長男で、阪妻亡き後俳優デビューした彼は「二代目阪妻」を期待されたのだが、結局生涯「高廣」で通したのは、豪快な阪妻とは正反対のタイプの役者だったから。
実際、彼も「あの映画のあの演技」といった強烈な印象はないのだが、それは悪い意味ではなく、自然に映画の中になじむことが出来る俳優だったからだろう。
個人的に一番印象的なのは『泥の河』(1981年)で、先日の追悼放送によると『泥の河』が本人一番のお気に入りだそうで、あんな素晴らしい映画で素晴らしい演技がいつまでも残るとなれば、そう思うのも当然でしょう。